岡山県(全域)
藤戸寺
「藤戸の戦い」の功によりこの地域を拝領した源氏方の佐々木盛綱が、源平両軍の戦死者と自分が刺した漁夫の霊を弔うため、大法要を営んだといわれています。
藤戸地域には、源平合戦に関わる多くの史跡があります。
源平合戦水島古戦場の碑
水島の合戦は、源平合戦で平氏側が唯一勝利した戦いです。この勝利により平氏軍は勢力を回復し、一ノ谷の戦いに備えることができました。
戦いのあった水玉ブリッジ西側近くに、「源平合戦水島古戦場の碑」があります。
盛綱橋
藤戸寺の門前の倉敷川にかかる橋は「盛綱橋」と呼ばれ、海を馬で渡ったと伝えられる佐々木盛綱の像があります。
盛綱橋には謡曲藤戸をイメージした銅板が埋め込まれています。
田土浦公園
倉敷市下津井地域は、清盛の義弟である平教盛たちが布陣し、源氏に寝返った平氏を撃退した場所です。
田土浦公園には、平行盛が詠んだ「もろともに みし世の人は 波の上に 面影うかぶ 月ぞ悲しき」の歌碑があります。
藤戸・経ヶ島古戦場跡
頂上には、佐々木盛綱が藤戸寺で追善供養をした際に建立されたといわれている宝篋印塔(ほうきょういんとう)[経塚]と塔婆[魚塚]があります。
宝篋印塔は源平両軍の慰霊のため、塔婆は盛綱に殺された浦の男の供養塔といわれています。
◆アクセス:瀬戸中央自動車道早島IC/車15分
源平藤戸合戦八百年記念碑
藤戸の合戦の800年目にあたる昭和59(1984)年、源平藤戸合戦八百年記念祭行事が挙行された際に立てられた記念碑です。
藤戸寺からすぐ近くにあり、八百年記念の碑は他に、経ヶ島などにもあります。
源平大橋
円通寺付近から、乙島と柏島をつなぐ源平大橋(玉島大橋)を一望することができます。
水島の合戦の際、東側の乙島には源氏方の陣が、西の柏島には平家方の陣が構えられました。
◆アクセス:山陽自動車道玉島IC/車15分
祇園神社
現在の祇園神社あたりに下津井での平家の拠点があり、平教盛とその息子である通盛、教経の三名将が守ったといわれています。
後の歌人が下津井合戦時の教経について詠んだ歌碑もあります。
◆アクセス:瀬戸中央自動車道児島IC/車10分
弘法山開龍寺
弘法大師が開山し、その後、源平水島合戦の戦死者の菩提をとむらうために寺院が建立されたといわれています。
なお、白石島に伝わる盆踊り「白石踊」も水島合戦の戦死者供養のために始まった踊りであるといわれています。