信仰の路としての瀬戸内海(神社仏閣および金毘羅)
瀬戸内海の海上交通を守る神としては、古くは住吉、のちに厳島、大三島、そして江戸時代には、金刀比羅が船人たちの信仰心を集めてきました。特に、瀬戸内海の港町を歩いてみると、住吉神社と金刀比羅神社によく出会います。
住吉大社は、神功皇后が新羅から凱旋してきた後に、往来する船の航海守護のために神功皇后自身によって祀られたと伝えられており、「古事記」にも「仁徳天皇の時墨江津を定む」とあります。この墨江津は難波津と並んで大阪港発祥の地に当たり、奈良朝時代の遣唐使はここで海路の無事を祈願して出発したといわれています。
厳島神社は、平安初期には名神大社に列なり、末期には安芸国一宮とされたもので、久安2年(1146)から保元元年(1156)に安芸守をととめた平清盛の尊崇を受けて以後、社勢は大いに発展。貴族の中に厳島信仰が広く浸透し、厳島参詣も活発化しました。
大三島の大山祇神社は神話時代の創建で、海上を守護する神として祀られてきましたが、武士の時代になると武運の守護がつけ加えられるようになりました。とりわけ有名なのは国宝館で、鎧、兜、太刀等武具の博物館としては日本一を誇り、源義経、源頼朝等が奉納した鎧など国宝8点、重要文化財約110点が収蔵展示されています。
金刀比羅宮は、香川県琴平町にある象頭山に鎮座しています。金毘羅神への信仰は近世に入ってからといわれており、その担い手は船頭をはじめえとする船乗りが中心となっていました。宝暦3年(1753)には、大阪から金毘羅参詣だけを目的とした金毘羅船と呼ばれる客船が造られ、定期航路が開かれました。これが日本最初の旅客船航路と言われています。航路は大阪から室津・牛窓を経て、田ノ口あるいは下津井に寄港し、瑜迦山に参拝して丸亀に渡り、金毘羅山に参詣するというルートをたどり、風と潮の状況がよければ1日で行くことができました。
さらに、瀬戸内海沿岸には数多くの神社があり、当時の船乗りは絵馬を奉ずるなどして海上の安全を祈願したり、また、港町の繁栄を基盤に多くの寺社も建立されました。
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住吉大社(大阪府)
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厳島神社(広島県)
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大山祇神社(愛媛県)
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金刀比羅宮(香川県)