遺明船の派遣と日明貿易
室町幕府は応永8(1401)年から9年間で6回、永享4(1432)年から1世紀の間に11回の遣明船を派遣し、日明貿易を行った。
「入明諸要例(応仁2(1468)年)」には500石から2,500石の船が門司、富田、上関、柳井、尾道、鞆、田島、因島、牛窓に配され、遣明船として用いられたとしるされている。
この遣明船の事業は、室町幕府が主導し始めたものであるが、次第に細川氏と大内氏の競合となり、最後は大内氏の独占となった。しかし、この事業は一大名だけでなし得るものでなく、瀬戸内海沿岸各地の連携と協力のもとに行われていた。