和歌山ブロック

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史跡紹介

  • 養翠園(ようすいえん)は、文政元年(1818)から8年かけて、10代藩主徳川治宝 (はるとみ)が造営した西浜御殿の別邸で、徳川中期の代表的な武家庭園ともいわれる池泉回遊(ちせんかいゆう)式庭園となっています。 JR和歌山駅から和歌山バス・雑賀崎(さいかざき)循環で養翠園前下車徒歩3分。

    養翠園(ようすいえん)は、文政元年(1818)から8年かけて、10代藩主徳川治宝 (はるとみ)が造営した西浜御殿の別邸で、徳川中期の代表的な武家庭園ともいわれる池泉回遊(ちせんかいゆう)式庭園となっています。 JR和歌山駅から和歌山バス・雑賀崎(さいかざき)循環で養翠園前下車徒歩3分。

  • 昔、この辺りが美しい入江だった頃、干潟の中に牛の形をした黒い岩があったため、黒牛潟と呼ばれたのが黒江の名の由来です。黒江の町並みは昔の漆器職 人たちの住居兼職場や問屋が通りに面して、のこぎりの歯状に規則的に並び、 独特の景観をなしています。 JR海南駅より和歌山方面行バス、黒江下車。

    昔、この辺りが美しい入江だった頃、干潟の中に牛の形をした黒い岩があったため、黒牛潟と呼ばれたのが黒江の名の由来です。黒江の町並みは昔の漆器職 人たちの住居兼職場や問屋が通りに面して、のこぎりの歯状に規則的に並び、 独特の景観をなしています。 JR海南駅より和歌山方面行バス、黒江下車。

  • 安政元年(1854)広川町(旧広村)に大津波が押し寄せた時、浜口梧陵は刈りとったばかりの稲むらに火を放ち村人を救った。この津波で廃墟と化した村を見 て、梧陵は有志とともに巨額の私財を投げだし、長さ637m、高さ4.5mの大防波堤を完成させました。三段構えの堤防は全国でも例がなく、「広村堤防」と して文部省から史跡に指定されました。 JR湯浅駅よりタクシー(車)で5分。

    安政元年(1854)広川町(旧広村)に大津波が押し寄せた時、浜口梧陵は刈りとったばかりの稲むらに火を放ち村人を救った。この津波で廃墟と化した村を見 て、梧陵は有志とともに巨額の私財を投げだし、長さ637m、高さ4.5mの大防波堤を完成させました。三段構えの堤防は全国でも例がなく、「広村堤防」と して文部省から史跡に指定されました。 JR湯浅駅よりタクシー(車)で5分。