瀬戸内の航路整備と日宋貿易

 平安時代の末、平家は日宋貿易による富を得るため瀬戸内航路の整備につとめ、日本と宋の交流、九州・瀬戸内と京との交流・連携を活発化させた。平家清盛はそれまで北九州までしか来なかった宋船を畿内まで導き入れるため、大輪田泊(兵庫港)や音戸の瀬戸の整備、さらに海上交通を守る厳島神社の建立を行った。
日本からは金や木材、美術品等が輸出され、中国から絹織物や陶磁器等、南アジアから香辛料等、高麗から人参や紅花等が輸入された。
平清盛は唐船と呼ばれた宋の商船を何隻も所有しており、上皇や貴族の厳島神社参詣の折りには大輪田泊からこの船で送迎したり自ら唐船に乗って航海を先導した。

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