広島ブロック
史跡紹介
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JR宮島口駅から歩いて15分。大野町深江の海に突き出た岬にある高さ3m余 りの大観音像。この観音像は、もとは石像で古来水難と平和加護のため深江湾の小島「鼻繰り島」に安置してあったもの。付近の人々によって、現在でもお祭りが行われています。
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忠海町には、小早川一族の猛将で名高い賀儀城主浦宗勝が菩提寺として1581 (天正9)年に建立した勝運寺(曹洞宗)がある。写真は宮床浦東端標高25mに賀儀 城跡(城山)があり芸予水道が一望できる。大きな鳥居は宮床神社のもので、境内には県天然記念物の「ウバメガシ」樹叢があります。 JR忠海駅下車15分。
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三原市街の沖合いに浮かぶ佐木島。 その西南に位置する向田港のそばに磨崖仏があります。正安2(1300)年の作で、海中にある幅6メートルの花崗岩に刻まれた県内最古の仏像は、干潮になると全身が現れるという全国でも珍しいものです。 三原港よりフェリーボートで40分。
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対潮桜は、国史海岸山千手院福禅寺の境内にあり、江戸時代朝鮮通信使の宿館として利用されました。1690年頃の創建で、ここからの眺望は素晴らしく、1711年朝鮮通信使の李邦彦は「日東第一形勝」と賞賛しています。 福山駅からバス・タクシーで約30分。
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北前船や諸大名の交易船の寄港地として栄えた港町で、江戸中期から昭和初期までの多彩な歴史的遺構が残る、全国でも貴重な地区です。 広島港から高速艇で85分、竹原港から高速艇で40分、今治港から高速艇で30分。いずれも大長港下船、徒歩10分またはレンタサイクル5分。
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海を敷地とした大胆・ユニークな構成と寝殿造りの厳島神社は6世紀後半に 創建され、1168年平清盛により現在のように造営されたその麗姿は、時代を越え、多くの人々の心を宮廷文化へいざないます。平成8年12月に世界文化遺産に登録されました。 宮島桟橋より徒歩10分。
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12世紀頃、平清盛が厳島神社で行って以来、厳島神社最大の神事として毎年旧暦6月17日夜に行われる。雅楽を奏でるきらびやかな管絃船が、厳島神社から海上を地御前神社に向かうさまは、さながら王朝絵巻の再現であります。 広島電鉄宮島線地御前駅から徒歩5分。
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5メートル角位の暗礁で、年2回しか岩頭が現れない。天正4年(1576年)石山寺合戦の時、毛利元就が本願寺に兵糧米を献上し、門主より親鸞上人直筆の六字の名号を賜りました。 JR呉線「坂駅」より徒歩約25分。 JRバス「坂鯛尾」下車徒歩約10分。
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白砂青松と緑の芝生に包まれた旧海軍兵学校は、明治21年、東京の築地から移転され、当時のイギリス建築の粋を集めて建てられた、赤レンガの生徒館や御影石の大講堂など当時のたたずまいを今も残しています。 広島・呉~フェリー~小用港からバス5分。
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約八百余年前、平清盛が金扇で夕日を招き戻し、一日で切り開いたと伝えられる音戸の瀬戸。真紅の音戸大橋のたもとには、平清盛の功績を称え、供養のために清盛塚が建立されています。 JR呉駅からバス、車で20分。
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本町は、古来長門島と呼ばれ、内海交通の要衝でした。天平8年に派遣された遣新羅使はこの地に停泊し歌を残しています。白砂青松の桂浜は、歌のとおりの景勝地で、今も昔ながらの風趣を保っています。 呉駅前~桂浜(呉市営バス80分)・広島から車で90分。
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呉市とその沖に浮かぶ倉橋島にはさまれた幅70mの狭い瀬戸で、平清盛が沈む夕日を金扇で招き、1日で切り開いたと伝えられています。呉市側には「音戸の瀬戸公園」があり、平清盛の日招像等があります。 呉駅よりバス音戸の瀬戸行25分、音戸渡船口下車。
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沖野島には通り穴、お手洗いなどと呼ばれている所があり、人々はこれを厳島神社と呼んでいました。また、江戸初期にはここで生洲を作り魚を飼っていたといいます。 車利用の場合、広島港から江田島切串港までフェリーで30分、切串港から現地まで40分(約21km)。
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応永年間(1400年頃)安芸国の東南部と備後国の西南部一帯を支配していた沼田小早川氏(広島県本郷町)の一族である土倉冬平が城主であった。小早川水軍の出城として活躍したと言われています。 現在、楼閣はとどめず、城跡はみかん畑となっている。麓に土倉冬平を祀っ たと言われている摩利支天社があります。 竹原港から高速船で沖浦港に下船、徒歩5分。
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永享4年(1432年)に当時の生口島の領主、小早川信元・信昌によって建立さ れた向上寺三重塔。様式は和様・唐様の混合で、朱色の鮮やかな外観がとても 印象的。この塔は室町時代初期に建てられたものの中で最も美しいものの一つに数えられています。 瀬戸田港より徒歩で15分。
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悠久の昔、遣新羅使の一行が風早の浦に泊まったとき、都に残る妻から送られた歌に対し「我が故に妹嘆くらし風早の浦の沖辺に霧たなびけり」と詠まれたことを記念し建立されました。 JR呉線風早駅下車、東へ徒歩12分。
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因島のほぼ中央部、標高273mの青影山頂にあり、島のほぼ全域及び周辺海域が見渡せる。本丸、二の丸などの郭跡があり、島内に数多く残されている海賊城跡ではなく戦国山城で、因島村上氏の本城の役割を果たしていたと伝えられています。 JR尾道駅発因島行バスにて市役所前下車徒歩40分。
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当町の三津口港から沖合約2kmの海上に浮かぶ無人島に漁業や海上交通の守り神である柏島神社があります。例年6月の吉日に、にぎやかな宵祭りと共に、 当日は多数の御詣り船が島をかこみ有名な管絃船の渡御で優雅な祭典がくりひろげられます。 安浦漁港よりチャーター船で、10分。
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立花地区の観音崎に築城された余崎城址の東側に、村上水軍の船かくしがあった。現在は、向島町マリン・ユース・センターとして、海洋性のスポーツが楽しめる、アリーナ・海浜オートキャンプ場・憩いの広場等があります。 休館日=月・木曜日 尾道駅より車で25分。
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明治時代の終わり頃、フィリピンまで出かけ漁業、建設、商業等で得た収入で建てられた白い壁で木造の民家が並びしっとりとした情緒ある町並みが見られます。 福山市から車で40分役場付近(県道53号線)。
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故・望月圭介内務大臣の生家。通称「地獄造り」と呼ばれる木造瓦葺き2階建ての町指定文化財で、明治8年の建築。廻船問屋の遺構としては瀬戸内海唯一の貴重なものです。 航空機・新幹線・車利用の場合、いずれも竹原港からフェリーで白水港まで 約30分。